子どもを伸ばす「あ・い・う・え・お」
アサヒビールの経営者は言います。
人生とは面白いもので、いつも明るく元気にしていると、ものごとはいい方向に動き出してくれます。
それはあまりに楽天的だと言われる人もいるかもしれませんが、私の友人を見ていても、明るく、元気な人が幸せをつかんでいる確率が高いです。
(樋口 廣太郎氏)
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塾生には、テストの点が悪い時、反省はしてもらえど、後悔はさせず。
生徒が悔しさを楽しくバネにして羽ばたけるよう、工夫、工夫です。
「子どもを伸ばす教師のあいうえお」
というのがありまして、塾生と接するときにはいつも意識していることがあります。
あ;明るく … 文字通り、明るいこと。
い;生き生きと … 活動的、行動的と言うこと。
う;美しく … 無駄がなく、スマートというニュアンス。
え;笑顔で … これは大切。
お;おもしろく … 遊び心と工夫
生徒にも機嫌がよいとき、悪いときがあります。特に中学生は、わかりやすいし、起伏が激しい傾向にあります。
機嫌が悪いとき、この「あいうえお」は生徒の状態を好転させるきっかけとなります。機嫌がいいと勉強もはかどります。(いつもそうとは限りません(‘◇’)ゞ)
親が子に接するときにも、大切なこと。
勉強、勉強言わず、笑顔で待つことが大切。
しあわせの七変化
しあわせの七変化
一、自分が変われば 相手が変わる。
一、相手が変われば 心が変わる。
一、心が変われば 言葉が変わる。
一、言葉が変われば 態度が変わる。
一、態度が変われば 習慣が変わる。
一、習慣が変われば 運が変わる。
一、運が変われば 人生が変わる。
いま幸せな人はそのまんまでいいんです
でも、幸せじゃない人は、言葉を変えて、態度を変えて、習慣を変えれば、人生を変えることができて幸せになれるかもしれない。
人に変えられるのではなく、自分で変わらないといけない。
変えてやりたい生徒はいますが、なかなか変わらないものです。
彼は幸せなのか?
勉強はリビングで
最近では、勉強部屋よりも、「リビングでの勉強」を推奨されつつありますが、その真意は。
~某HP抜粋~
難関中学、最難関中学の保護者へのアンケートでは、
『幼児から小学校低学年までの、家庭の学習場所』の設問に対しては、どちらのグループでも 約9割のご家庭が「リビングで勉強」と回答されています。
『お子さんが勉強しているときの、保護者の関わり方』の設問に対しては、最難関グループと難関グループでは、大きな違いがあり、
最難関中学合格のご家庭では、「保護者が○つけし、できないところなどをチェックする」といった、お子さんの自立的な学習をサポートする関わりを重視しています。
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アンケート結果では、合格した中学校の偏差値に関係なく9割のご家庭がリビングで学習をしていたわけですから、お子さんの成績が伸びるかどうかは、勉強する場所の問題ではなくて、保護者の関わり方であると言えます。
「リビングで勉強する真意は、親が子どもの勉強に関わりを持ちやすい」から
です。
場所がどこであれ、親が関わり持てれば、子どもの成績が伸びる可能性が増えるわけです。
ここで、注意事項があります。
お子さんが小学校低学年生の間は、保護者が勉強を教えることができます。
しかし、お子さんが考えているときに解き方を教えたり、お子さんから質問されたときに正解を教えると、考える習慣を築くことはできません。よって、次の4点に注意しながら子どもの勉強に関わります。
1.お子さんが、分からない問題を考える時間をつくる
2. お子さんに、関心を持ち、見ていることを意識させる
3. ○つけは保護者がして、間違えたところはお子さんに考えさせる
4. 失敗の大切さを理解させる。例えば、どうしても解けないと悩んでいる問題があれば「あの問題解けた?」と聞いてあげる、
答えが間違っていたとしても解き方について「そういう風に考えたのね」と、評価してあげるなど、取組む姿勢を大切にすることが子どもの考える習慣を築きます。
言ってはいけない言葉、言わなければいけない言葉
①子ども自身の存在を否定するような言葉
「あなたがいなければ」という、その子の存在を全否定する言葉は絶対タブーです。
同様に、親は何気なく言っているつもりなのかもしれませんが、「あなたが男の子/女の子なら・・・」などの性別の否定も非常に深く傷が残ってしまうといいます。
努力ではどうしようもないことを言われ、子供はやはり自分を否定されたと感じます。
子供の存在を否定するような言葉は、なぜいけないのでしょうか。そして、それを聞いた子供はどのように感じ、どのような影響を受けるのでしょう? 子どもは親から非常に大きな影響を受けます。存在を否定するような言葉を、「心理的虐待」と呼びます。
叩いたり蹴ったりはしていないものの、「暴力」の一種です。 子どもは、「親が思っている自分像」をそのまま「自分像」として受け止めます。 周りから見てどんなに勉強が出来ても、親が「勉強が出来ない子」と思っていれば「自分は出来ない子」と思っています。
同じように親が「悪い子」と思っていれば「悪い子」と自分も思ってしまい、自分に自信が無く、出来るという感覚がもてない子になってしまいます。
②子供同士を比較するような言葉
親がうっかり言ってしまいがちなのが、「お姉ちゃん/お兄ちゃんに比べてあなたは…」、「○○ちゃんはできるのに…」などと、子供同士で比較して評価する言葉。自分が言われたと考えると、確かにこれがいけないのは分かりますが、比較された子供は、どういう心境になり、どのような行動に出るのでしょうか?
子どもはこのような言葉を受けると、「お母さん(お父さん)は、お兄ちゃんだけが好きなんだ。私のことは好きじゃないんだ。」という確信を持ってしまうときがあります。このように思ってしまった子どもは悲劇です。下手をすると、一生この気持ちを引きずるときもあるのです。 小さいうちほど、「親からの評価=自分の評価」になってしまいがちなのが子どもです。
つまり、「自分は親に好かれていない=自分は生きる資格がない」と飛躍してしまい、自分を大切に出来なくなったり(自尊心の低下)、自分はやれば出来るんだ!という気持ちが無くなったり(自己効力感の低下)してしまうのです。
また、その比較された対象、例えば兄弟に意識的・無意識的にも関わらず「敵意」を持つようになります。それが妹や弟であれば陰でいじめたりすることもありますし、姉や兄などの自分より強い相手であれば、困らせるようなことをしたり、行動には移さなくても不幸を願ったりすることがあります。
子供同士を比べてしまうとき、それを言う親の側には、勉強の出来であるとか、学校での評価であるとか、友人関係や行儀など、何か子供を評価しているような感じがします。「評価」をあせる親が、真面目さのあまりつい厳しいことを言ってしまって、取り返しがつかなくなる、子どもに対する言葉の暴力を止められない、そういうお母さんは実は少なくありません。
自分では子どもにひどいことを言うのを止めようやめようと思っていても止められないとき、そんなときはドツボにはまってしまっているかもしれません。
このようなお母さんは、意外にも「理想の子育て」を追いすぎている場合があります。例えば、 ・ 子どもに絶対怒らない ・ いつも笑顔 ・ いつも一緒に遊んであげる ・ いつも手作りのお菓子を作ってあげる ・ いつも褒めてあげている 等々。子どもに虐待をしてしまうお母さんは、意外にも「そんないいお母さんいないよね?」と客観的に見れば言いたくなるような「良いママ像」に苦しんでいる場合があります。
そして、ひどいことを言ってしまい子どもの寝顔をみながら自己嫌悪に落ちたりするのです。 ドラマのようないいお母さん、いい子どもなんていない!ということがわかると落ち着いたりする場合も多いものです。
それから周囲の助けを得ること。夫が忙しいならば、実家、近所のママ友達、児童館、民生委員、保育園など、自分だけで子どもを抱えず周りに甘えましょう。これを「ソーシャルサポート」といいます。「社会援助」ですね。
③「ほめて伸ばす」の弊害
前にあげた2点は、子育てでもよく言われ、お母さんたちも注意を心がけていることだと思います。しかし見逃されがちなのが、子供をけなすのでなく、「褒めない」ということの影響なのです。
たとえば、妹の前で姉を褒めると、妹には直接にはネガティブなことも何も言っていないので、親はこれをOKと思ってしまいがちです。
しかし実際には、妹は自分がけなされたと同様の心証を受けるのです。親が意図しない言外のメッセージを受け取ってしまう、これが盲点です。 もう少し具体的に考えてみましょう。姉と妹と二人で親戚の家に行って、「あら~、お姉ちゃんすっかりきれいになって~」と言われたとします。親戚は「褒めたつもり」なので、まったく悪気はないのです。
しかし、妹にしてみたら、「きれいになったと言われない=自分はきれいじゃない」というメッセージを受け取ります。だから、先ほどのように「お姉ちゃんに比べてあなたは…」と言われたのと同じ心理状態になるのです。
最近「褒めて伸ばす」という教育法が注目されている一方で、このように傷ついている子どもが多くなっています。 人間は、差に敏感な生き物なのです。兄弟姉妹ならばなおさら、何事も平等にしてあげなければいけません。片方だけを褒めるときは、一人だけのときにしたり、「ちょっとこっちにおいで」と手招きして耳打ちするなどの配慮をしましょう。
④親は何を意識して子供に話しかけるべきか
大人が意識すべき点は、どのようなものでしょうか?
・こどもは、「親が思っている自分像」をそのまま
「自分像」として受け止めます
・いくら頭にきても子どもの存在を否定するようなことを言わない
・兄弟や友達と比べるのは、仲を悪くする元凶。親は自分のことが
嫌いなんだと思ってしまうため、自分に自信を失ってしまいます
・ひどいことを言いそうなときには「完璧なママ」を目指していないか
考えてみて
・そんなとき、必ずまわりにサポートを求めること。
「子どもへの攻撃とママの孤独は裏表」
・ほめているつもりで、「褒められない子」を作らない 。
ほめるときは、その子一人だけ、または耳打ちにするように配慮する
「親の責任」と肩に力を入れて考えてしまっては、子育ては大変なものになってしまいます。考えすぎず、「子供は敏感なのだ」とかつての自分の子供時代を思い出しながら、「自分が言われたらいやな事は言わない」「自分が言われたらうれしいことで、声をかけてあげる」を原則にする程度でも、十分な心がけかもしれません。親と子も人間関係。お互いに気持ちよく信頼関係を結べるような会話をしたいですね。
あるコンサート
いちご農家をしながら中学生相手の高校進学塾、大学受験予備校のかけもちをしています。
半農半リーマンです。
どっちかに絞れたら楽なのかもしれませんが、両業種していていいこともあります。
体を使う農、頭を使う先生業。いいバランス。関われる人も違うし、たくさん感化されます。
昨日は中学生の塾の冬期講習で授業をした後、塾の代表が生徒の前でコンサートを開きました。面白そうと軽い気持ちで仕事後参加しました。
ギターを弾いて、歌を歌うのですが(どういういきさつでそうなったかはよくわかりません)、歌もさることながら、中学生に向けて話されたいい言葉が印象的でしたので書いておこうと思います。
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夢には3つある。
一つには自分の夢(なりたいこと、やりたいこと)
二つには託す夢。(大人になると、人に叶えてもらいたい夢が出てくる。子供に託すとか))
三つには託される夢。(両親から託された夢とか、友達などから託された夢など)
中学生に放たれたその話は、自分自身に響きました。
というのは、この齢になっても、意識するのは「1」だけなことが、うむ、まだまだ青いなと思ったこと。
そして、「2」は今後あるのだろうかと思ったこと。子どもが2月に生まれる予定ですが、そんな気持ちになるのかなぁ。子どもに対しては教育者(親)としての義務的立場は持たなければいけないとしても、一人格を認め付き合っていきたいと思っているから・・・そして、他人に夢を託したことがないから・・・
「3」。親なら必ず託すのかな。初老のいつも畑作業を手伝ってくれる親のことを思い出したこと。
果たして、その自分に響いた言葉は、中学生にどう響いたのかな。1,2は響かず、3は響いたかなとか思ったり。自分は少なくとも、中学生の時夢なんかなかったし、響いてないだろうなぁ。
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この仕事をしていると、小、中、高と広い世代の子供と触れ合う。夢のある子、ない子。子どものころは自分しか見えてないけど、鳥瞰的というか、客観的に眺めてみると、アンテナを張り巡らしている人、ぼーっとしている人、子どもの時代からずいぶん差があります。もちろん、幸せ、不幸せはそれに依りません。
いろんなことを考えた挙句、代表の趣味もあったかもしれませんが、それに乗せて子どもにメッセージを送るためにコンサートを開いたんだなということがわかりました。
仕事も忙しいのに(社長なので)先生業に対する愛着というか思い入れも感じ、半々でやっているのでなかなかそこまでは入れ込まない自分も、その仕事への勉強を教えるという以外の入れ込み方もいい勉強になりました。
途中で、諸用で抜けましたがいい時間を過ごしました。
パソコン購入
ここひとつき、ブログ更新不精だったのは、なんとパソコンが壊れてしまい、買い替え、カスタマイズに時間を要したため。
CPUはCorei7の3.4GHZ、メモリー16GBまで増強、HDは1TB、外付けHD3TB。あまりの過酷な使い方に、3年で買い替えた今回のパソコン。
生徒無事合格、そしてひと段落
H24.2.7
公務員を辞めて、農業と家庭教師を始めて5年が経つが、5年目の生徒は2人。